美しいものにいつもほほえんでいたい

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いま思うこと ~第9回 続・世界文化遺産のこと~

世界文化遺産登録について前回に続いて述べたいと思います。
遺産登録の対象が単に歴史的に価値あるだけではなく、その遺産が現代にあって、どのようにその地域の人たちにかかわっているかが問題になることを述べました。
遺産を守る会式の発想では難しいということです。
長い年月をかけてその遺産と精神生活と実生活とが、どのように結びついているかです。
知床半島のことを考えますと、その広さと人とのかかわりの歴史が明確です。

冨岡製糸工場は冨岡という地域だけでなく、明治10年に明治政府が殖産興業策のひとつとして多野郡新町に開設した「新町屑糸紡績所」や、県蚕糸試験場に保存されてある様々な種類の桑の畑、大きな養蚕をしていた農家などを総合して考えなければならないと思います。
それこそ全県に網羅されている養蚕にかかわる遺跡、民具、桑畑などを見渡して、そのことが群馬という地域に住む人々の精神形成にどうかかわってきたかをまとめていくことが必要です。
繭の流通機構(碓氷社・高山社・繭の仲買人の足跡など)、蚕の研究(境町島村の田島武平一家のことなど)、桑の改良研究に携わった人々などを総合した知識を県民が共有して、はじめて遺産登録に向かっていくのだと思います。

更に、養蚕に関しての子弟教育についても群馬では特色がありました。
農業學校の名称は消えてしまいましたが、特に最近まで全国に唯一残っていた「安中蚕糸高等学校」の存在は、この世界遺産を考える時に忘れてはならないと思います。
この学校の卒業生の歩み、その実践教育には地域の人たちがかかわっていたことなどの評価をきちんとすべきではないかと思います。

世界文化遺産登録に向けて、まずは問題提起からはじめ、時間をかけてその精神をこの土地にしっかりと根づかせる努力をすることです。
繰り返して述べることになりますが、冨岡という一地方ではなく、全県にひろがった問題としてとらえることが重要なことです。
できれば養蚕や繭、桑などに関して総合的に研究検討する機関を設けたいものです。
予算がないということから行政サイドでは考えられないこととでしょうが、世界遺産登録が次世代への大切なメッセージであるという考えに基づけばできる筈です。
ただ、群馬ではこれまでこうした考えで何かをしてきたことは、あまりありませんでした。
文化への関心が低かったことは否めません。
ですから相当なエネルギーを要するのです。
中途半端なことではできません。
努力しても結果がでないことも予想されます。
それを覚悟でことに当たるのだと思います。
熱しやすく冷めやすい県民性を超えることができるかです。

(2005年9月掲載)