美しいものにいつもほほえんでいたい

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いま思うこと ~第4回 「生涯学習とは」の再検討(1)~

昭和50年6月4日、岡本洋裁学校の二階を会場に、女性のための源氏物語を読む会を始めました。
それから今年で30年、この1月15日の例会で894回になりました。

源氏物語を読むことだけを目的とした集まりで、それ以外のことには全く関与しないという前提で、これまで読み続けてきました。
今でこそ源氏物語は多くの現代作家の口語訳があり、親しむ人も多くなりましたが、当時は与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の口語訳が源氏物語を身近なものにしていました。
それでも限られた人たちにしか親しまれていなかった古典でした。

第一回、二回は連絡不十分であったのか参加者は5名でした。
ところが第三回の6月18日は、50名を超える参加者がありました。
この飛躍的な参加者の増加については、いまだにわかりません。
ただいえることは、この6月18日は、30年前(昭和50年当時)沖縄南端で、師範学校女子部第一高女の生徒49名が戦死した日でした。

あとになってわかったことですが、参加者は、この「ひめゆり部隊」と同世代の人が多くおられました。
「学校時代は殆ど源氏物語に接することなく過ごしました」「戦時中の女学生で勉強できませんでしたので、是非この機会に読みたいと思いました」と、参加者の方々の言葉がいまも印象に残っています。

現代のカルチャー族が、さまざまな文化活動に参加する姿勢とは、意味が違うように思えます。
学ぶ姿勢は同じでも、そこに戦争で失った己の青春の時間をとりもどしたいとする切実な姿勢が、あるかないかです。
参加することによって、己の人生の充実をはかろうとする前提があるのです。

古典は学校教育だけのものではありません。
まして入学試験の科目として存在しているのではありません。
こういった原則的なことはわかってはいても、若者ことばでいえば「古典はうざったい」ものとして受け止められているのが現状でしょう。

若者の国語力が低下しているという報告があります。
当然予想されていたことで、いまさら驚くには値しませんが、この「さびしい」現状を少しでもよい方向にと思うのは、日本の将来を考える人でしたら誰も思いましょう。

さて、ここで「生涯学習とはの再検討」ということで、これからいろいろ考えてみたいと思っています。

(2005年2月掲載)