美しいものにいつもほほえんでいたい

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いま思うこと ~第12回~

●「いのちの電話」公開講座でお話したことの反省

1月28日、新前橋駅近くの社会福祉総合センターで、「日本人の死生観」について講演する機会をいただきました。
「いのちの電話」といい、「死生観」といい、かなり重い講演会と感じていました。

「死生観」とは、死をどのように捉えるかということとして、私は考え、それなりの資料をよみ、メモをとりました。
この作業は厖大な資料にどのような姿勢でのぞむかという、かまえのようなことが必要でした。
時代を追って「死生観」の移り変わりをみるということや、具体的な人物を通して、その人の考え方をさぐっていくことなど、多岐にわたりました。
事務局で用意していただいたパンフレットに、「源氏物語を語り続けて35年」を通して見た「死生観」と書いてくださり、それをもとにお話をすればよいと初めは安易に考えていました。
源氏物語にみられる「死」の場面を例にして、その死にかかわる人物の心理の動きを通して、現代との接点を話せればと思ったのです。
しかし、光源氏の母桐壺更衣の死、それを控えての帝の心理、娘に先立たれた母君が、そのかなしい心中を帝の代理として遣わされた靱負命婦へ嘆く場面、夕顔・葵上・紫の上などの死を悲しむ光源氏の姿を通してなどを講演するためには、会場の方々が源氏物語を読んでいなければ、通じないと思いました。

そこで、まず「日本人」とはどのように説明したらよいかを捉えることから話しました。
それも世界での位置を考えてという視点にたってです。
「黄色人種・ウラルアルタイ語族・精神的支柱としての古典(源氏物語・芭蕉の俳句)」の三点をかかげました。
次に、「日本人の特徴的行動様式」について、「皆さん並み」のことばに象徴される同一行動様式を話しました。
みんなが同じ方向に向かうことがよいことで、それに逆らうことは許されない考え方です。
反体制的な考え方をする人を許容しないということです。
「みんな仲良し世界のこども」ではないことなどを具体例にして話しました。
また、「納骨」の行動様式に、日本人の死生観の姿をさぐる一つであるとも話しました。

結局、参加者の感想にありましたが、「話が多岐にわたり、言葉の面白さ・言葉の羅列で、本当に話したいことが見えなかった」という講演になってしまいました。
力量不足ということです。やはり、重い重い講演会でした。

●温暖化の恐怖。
その恐怖を超える人間の英知は まだあるのか。

報道されていますように、北半球ではこれまでにない温かい冬でした。
日本でも降雪地帯に雪が少なく、雪らしいものが降らなかったところもあるようです。
県内のスキー場の中でも休止、榛名湖など全面凍結しないために、「わかさぎ釣り」ができませんでした。
単純に暖いからよかったと喜べません。水不足のことです。
昨年のような記録的な降雪は、今になっては望めません。
せめて春雨が激しく降って欲しいと思います。
ただ、このごろのように降ると、すぐ被害につながるのは困りますが、雪が降らなかった分、降って欲しいものです。

地球全体から見れば、トウタル的に降水量の帳尻は合うようですが、これも温暖化がすすんでいる現在は、帳尻が合わなくなってきたといわれます。
南極・北極の氷の融ける速度が速くなっているからだそうです。
こうした地球の現状を認識する人は関係者のみで、多くの人は無関心です。
政治の動きが鈍く、依然として権力抗争にあけくれているからです。
人間の愚かさを痛切に感じます。
こうしたことから、このごろ人間不信になっています。
人間の英知を信じられなくなったからです。
人間が動物的になっている。人間は動物でありながら、それを超えてきたことをすっかり忘れているからです。
それは人間が生きて行くために、他の生物と共存していく社会秩序を築いてきたことをです。

さて、これまでの述べてきたことに対して、抽象的なものの言い方だと非難されましょう。
より具体的なこと、現実的なことをといわれましょう。
人間の愚かな行為、愚行をとりあげるにはその数が多いのです。
まわりは愚行だらけです。つまり目の前のこと、自分にかかわることだけしか見ていなのです。
自分の行為が他者へどうかかわるかということについては、まったく考えていないのです。
つまり想像力に欠けているのです。
イメージを描けないのです。
予測・予想ができないのです。
現在を20世紀の始まったころと比べてみますと、いかに今の人間が行動的でないことがわかります。
日露戦争・満州鉄道・労働争議・自然主義文学・韓国合併と大逆事件など、人間のありようをめぐって、国家権力の押さえこみも激しかったのですが、人間の怒りがありました。

現在はどうでしょうか。
怒りの声が少ないと感じます。それはイメージを描く力や歴史認識の欠如だと思います。
どうお考えになりますか。

(2007年2月掲載)

いま思うこと ~第11回 八月は単純に暑い季節ではない~

八月六日は広島原爆記念日、九日は長崎原爆記念日、そして十五日は終戦記念日と、平和と戦争について考える日が続きます。
原爆記念日は、広島や長崎の人にとっては終生忘れることができない日で、平和と戦争について、次世代へ語り継がなければならいという意志を強くもっておられます。
それは群馬の人とは比較になりません。

私が高校の教師をしていた一昔前のことですが、夏休み中の全校招集日を給料日と重ねて計画することがよくありました。
後にこのことが問題になり、その日を避けるようになりました。
のんびりとした時代であったと思いますが、この八月の戦争に関する諸記念日を招集日と決め、担任の先生からその日にかかわる平和と戦争についての話があるところがありました。
それは西日本の学校に多くみられました。

ある年の夏に福岡の友人の家を訪れた時でした。
夏休みの招集日は、六、九、十五日だと話してくれました。
九日の朝、友人の娘三人が登校していった姿を思い出します。
「今日は学校で何をするの」と愚問を発しました。
すると、三人娘は口をそろえて「原爆と平和について、先生がお話してくれるの」と答えました。
群馬ではこうした招集日をしているところがあるのだろうか、また、教師がその日に関してどれほどの知識と見識をもっているだろうかと、考え込んでしまいました。

このごろ、よきにつけあしきにつけ教師に関して、いろいろと報道されています。
五十年まえとは状況が違うことは当たり前ですが、教育と教師の基本的な姿勢はそう変わることはありません。
いつでも生徒の目線で教師は考えるということと、次世代へ伝えなければならないことは何かという哲学をもっていることです。
このごろの教育の様子をみていますと、場当たり的なことが目立ちます。
生徒や保護者のニーズにこたえることを優先させるという姿勢はそのことをよく物語っています。
今の教師は、頻繁に起きる目先の課題に追い回され、地球の将来像や人間のありかたに関しての見識を深める機会がありません。
にもかかわらず要求・期待されることが多くあります。
保護者は自分の子供だけのことしか考えておりません。
それは、入学式や運動会など、自分の子供の姿をヴィデオカメラで追い回す姿や、学習に関して「うちの子の成績さえよければ」ということばなどから、考えられます。

今、日本は極限状況下におかれてはいません。
しかし、ガソリンの値上げなどを考えますと、かなり悪い状況が迫っていると感じます。
先に述べたように教育も教師も保護者も目先にとらわれた思考しかできないとしたら、オイル不足による生活の状況を想像することができません。
こう考えてきますと、今一番必要なことは、感性の覚醒ということです。
想像力を鍛えるには、この感性からです。
その感性は、芸術との接点から生まれます。
それは、いつの時代でも精神に余裕のある人しかできないのかもしれません。
経済的にゆとりがあっても、その人の精神や環境に、感性の豊かさがなければ意味がありません。

 暑い夏、だから考えるのです。
考える材料は世界で一番恵まれているのです。
人類初の原爆の体験をしているのです。
その教材を教師が忘れてはいないでしょうか。

●教材から戦争文学の作品がなくなった。

最近の高校の国語の教科書を開くと、基本的なことを軸にした教材を採録したものと、受験向きに硬質な文章を載せたものとがあることに、気付かされます。
学校による生徒のレベルとの関連があると思われますが、明らかに二極化がすすんでいると感じます。
三年生になって主に用いられる「現代文」の教材は、いわゆる「現代国語」の時代のものが多くみられますが、以前に比べて、教材の内容はわかりやすくなっていますと同時に、教材の分量が少なくなっています。
五日制ということもあるのでしょうが、このところの指導要領の改訂ごとに、国語がないがしろの傾向が強くありました。

次期学習指導要領の改訂で、このあたりが変わるようです。
文部科学省は、国語を他教科も含めた学習の基本と位置づけ、特に「論理的にものを考える力」を養うことに力を入れるようです。
これまで高校の国語の授業は、文学作品を主体にした感情や情緒の読み解きが中心としてきました。
思考力をはぐくむための指導があまりなされてこなかったという認識が、関係者の間にあったようです。

机上のことで論議をしても始まらないと私は思います。
「思考力」を高めるということの第一歩は、現代に関してどのような問題意識を持っているかということだと考えるからです。
文学作品を単に感情や情緒による読解ですませてきたこともありましょうが、教師の姿勢によって、文学作品からいくらでも「思考力」を養う授業はできるのです。
三好達治の「太郎の屋根に雪降りつむ 次郎の屋根に雪降りつむ」の詩を教室で扱う時、教師は説明のしようがなく、どうしたらと思う教師が多いといわれています。
こうした誰にも分かる詩ですが、教師の姿勢によって、いろいろな問題意識が生徒の間に芽生えさせることができるのではないかと思います。
例えば「太郎」の名で代表される歴史上の人物、また身の回りの人にはいないかなど、それぞれの「太郎」の人生をうかがわせることによって、問題意識が生まれてくると思います。
「はだしのゲン」ではありませんが、原爆でなくなった「太郎」もいるでしょうし、白血病で亡くなった「太郎」もいるでしょう。
こうした人物像を作り上げることによって、「思考力」の核ができていくのではないかと思うのです。

高校国語の教科書から「戦争文学」の姿がみられないということは、現代の問題意識の原点を無くしていることにつながります。
平和とか核抑制とか、現代人が抱える問題のほとんどが、戦争にかかわることです。
その考えるきっかけの教材がないということは、「思考力」を意識させることは難しいことです。
目先のことに追われ(主に受験)、自分や自分にかかわるものだけを考えること(自分さえよければよい・自分のこどもさえできればよいのだ)をよしとする風潮が強いだけに、教師の相当な覚悟と、研鑽が必要になります。
戦争文学に関しては、次に触れてみます。

八月は暑いのですが、一番「思考力」を鍛える時でもあるのです。
身近に問題とするべき課題が多く存在していることに、気付く季節であるからです。
昭和天皇が靖国合祀について不快感をもっておられたというメモについても、八月は考える核が沢山あります。

(2006年8月掲載)

いま思うこと ~第10回 「若者が落語に耳を傾けるようになった」と聞いて考えたこと~

TVの番組がつまらいないという声が聞こえます。
例えば野球放送にしても特定のチームを応援する人にしか興味がわかないというのです。
これに関しては伝統的なチームの目に余る凋落ぶりが、一層拍車をかけたともいえましょうか。
また、本場の野球が絶えず見られることもあってか、TVを見るものの目が肥えてきたことが大きいと思います。
つまり本物志向になったということです。
こうしたことは、制作費用をかけずに番組が構成できるといった局側の台所事情によって、お笑いタレントを登場させての安易なクイズ番組などが目立ちますが、これに対して一種のあきとお笑いの原点を求める志向が強くなってきたのではないかと感じます。
吉本興業的なお笑い芸人の世界にあきがきているのも事実でしょう。
こうした現象については深く考えなければなりませんが、このごろ落語に興味をもつ若者が多くなってきたことは、笑いの本物志向がでてきたのではないかと、私は考えます。
地方ではこうした現象ははっきりと見られませんが、東京では顕著になってきているといわれます。

このことを裏書きするように、雑誌『文學界』九月号で「落語探求」を特集していました。
立川談志と劇作家澤田隆治との対談「家元、文学を語る」をはじめに、橋本治の「落語のルーツは源氏物語かもしれない」、小谷野敦の「落語を聴かない者は日本文化を語るな」、そして春風亭昇太と立川談春の「落語の自由」という対談が掲載されています。
すでにお読みの方もおられましょうが、興味のあるかたは図書館などでお読みいただけたらと思います。

この特集で一貫してながれている考えは、落語が文学と深くかかわっていることです。
談志は「俺は文学はわかりやすくなきゃダメだと思うよ。
そりゃわかりにくいものがあっていいけれど、わかりやすいっていうと馬鹿にされるから、わざとわかりにくくするなんていうのはおかしな話でしょう。
基本的にわかりやすく書いてくれなかったらどうにもならねえな。血湧き肉躍るでなきゃダメだよ、文学は。」と述べています。

この言葉までに話題になっていた作家は、岡本綺堂・子母沢寛・司馬遼太郎です。
大衆作家としてあまり評価されない作家たちですが、「語り」のうまさと江戸っ子だということが落語家にとって重要であるといっています。
子母沢寛も司馬遼太郎も江戸っ子ではありませんが、談志は「生まれは京都であろうが、ベトナムだろうがどうでもいい。
要は御一新の時にどっちに味方すかって、それなんだ」と啖呵をきっています。

さらに談志師匠は「小説家は資料だけじゃ書けないから、さっき言ったように、登場人物に命を吹き込んだのは司馬さんの仕事だからね。」といい、庶民感情をいかに表現しているかによって、文学作品の価値観がわかれるのではないかと述べています。
その庶民感情を代弁するのが落語家の役目、それを言える場が寄席です。
ところが現代ではセクシャルハラスメントということから、差別用語は禁じられ、人権にかかわる言葉についてはかなりの制約ができました。
刑法までできたわけです。

落語の言葉遣いが非難され、あののびのびとした言葉による人間性を押し出した話ができなくなってしまいました。
ですから、TVの画面で本当の落語が語られなくなりました。
時に放映されても、テロップでことわりをださなければいけなくなりました。
にもかかわらず、政治家の発言には時として問題があります。
それはそのままです。何かおかしいと庶民が気付き始め、このことが落語への関心がたかまってきたひとつでもあると、私は考えます。

ただ落語は単なる笑い話ではありません。
談志師匠も語っていますが、落語を聴くための常識が必要です。
常識というより共通の感性といいますか、落語の世界に入るにはその約束事のようなことです。
こんなことを知らないのかでは、話になりません。
落語家が話しの解説をいちいちしていては、それこそ話になりません。
つまり一定の教養を共有していなければならないということです。

このあたりのことが理解されないままに落語ブームになったとしたら間違いだと思います。
ところがこのごろの若者は落語についての学習をするようになってきました。
といいますのは、落語に参考になる書物がよく読まれるようになったというのです。
近世語、つまり江戸語についての関心が強くなってきたということです。

この言葉に関心をもつという現象こそ、人間の心の世界に入り込む第一歩になります。
その言葉のもっている意味の厚みといったようなことを掴むようになるからです。
おもしろおかしい語呂合わせや駄洒落ではなく、人間の本質をつくことばを知っていくということです。

話題を変えますが、談志師匠の読書のすさまじさをここで書くことはできませんが、よい落語家は多くの教養をそなえています。
そのために多読の日々であることをお忘れなく。
軽い表層的な笑いをとるピン芸人は、そのネタのために膨大なメモをとっています。
その厚みによって、競争の激しい多くの芸人の中で生き延びることができるのだと思います。

落語に関心を寄せる人は、知的労働者だと私は思います。

(2005年10月掲載)

いま思うこと ~第9回 続・世界文化遺産のこと~

世界文化遺産登録について前回に続いて述べたいと思います。
遺産登録の対象が単に歴史的に価値あるだけではなく、その遺産が現代にあって、どのようにその地域の人たちにかかわっているかが問題になることを述べました。
遺産を守る会式の発想では難しいということです。
長い年月をかけてその遺産と精神生活と実生活とが、どのように結びついているかです。
知床半島のことを考えますと、その広さと人とのかかわりの歴史が明確です。

冨岡製糸工場は冨岡という地域だけでなく、明治10年に明治政府が殖産興業策のひとつとして多野郡新町に開設した「新町屑糸紡績所」や、県蚕糸試験場に保存されてある様々な種類の桑の畑、大きな養蚕をしていた農家などを総合して考えなければならないと思います。
それこそ全県に網羅されている養蚕にかかわる遺跡、民具、桑畑などを見渡して、そのことが群馬という地域に住む人々の精神形成にどうかかわってきたかをまとめていくことが必要です。
繭の流通機構(碓氷社・高山社・繭の仲買人の足跡など)、蚕の研究(境町島村の田島武平一家のことなど)、桑の改良研究に携わった人々などを総合した知識を県民が共有して、はじめて遺産登録に向かっていくのだと思います。

更に、養蚕に関しての子弟教育についても群馬では特色がありました。
農業學校の名称は消えてしまいましたが、特に最近まで全国に唯一残っていた「安中蚕糸高等学校」の存在は、この世界遺産を考える時に忘れてはならないと思います。
この学校の卒業生の歩み、その実践教育には地域の人たちがかかわっていたことなどの評価をきちんとすべきではないかと思います。

世界文化遺産登録に向けて、まずは問題提起からはじめ、時間をかけてその精神をこの土地にしっかりと根づかせる努力をすることです。
繰り返して述べることになりますが、冨岡という一地方ではなく、全県にひろがった問題としてとらえることが重要なことです。
できれば養蚕や繭、桑などに関して総合的に研究検討する機関を設けたいものです。
予算がないということから行政サイドでは考えられないこととでしょうが、世界遺産登録が次世代への大切なメッセージであるという考えに基づけばできる筈です。
ただ、群馬ではこれまでこうした考えで何かをしてきたことは、あまりありませんでした。
文化への関心が低かったことは否めません。
ですから相当なエネルギーを要するのです。
中途半端なことではできません。
努力しても結果がでないことも予想されます。
それを覚悟でことに当たるのだと思います。
熱しやすく冷めやすい県民性を超えることができるかです。

(2005年9月掲載)

いま思うこと ~第8回 世界文化遺産のこと~

明治5年に建てられた官営冨岡製糸工場を世界文化遺産に登録しようとする運動が、関係者によって始まっています。
北海道の知床半島の自然とくらべてみるとその規模には格段の差があります。
自然と人間の文化との違いにもよりますが、それ以上に文化遺産として対象になるものが、現代に生きる人たちにどのような精神的な支えになっているかという課題に、回答する用意があるかということです。
わかりやすくいえば、冨岡地区だけでなく、それをとりまく西毛地区や県民にとって、冨岡製糸工場の建造物がどのように精神生活の支えとかかわっているかということです。

発掘した古代遺跡のすべてを保存するということはできません。
その遺跡の現代性を考えた上で保存の対象になるかどうかを、決めていくのだと思います。このことは世界文化遺産という、世界という語に注目しなければなりません。
つまり人間にとっての遺産として評価できるかどうかです。
お国自慢的な世界文化遺産の主張ではないということです。

冨岡製糸工場について、冨岡の人たちが日常どのように接しているか、どのような精神生活とかかわっているのか、文化財としてどのようにこれまで住民が努力してきたかなど、問われるということです。
単に大切なものというだけでは世界文化遺産にはなりません。
世界遺産登録までには相当な時間がかかるのではないかと思います。
10年、20年と運動を展開していく強い意志をもっていなければと思います。
それには、行政に携わる人たちが第一線に立つことだと思います。
つまり富岡市役所の人たちの学習からです。
次に次世代に対しての運動の展開です。
つまり教育の場での冨岡製糸工場についての学習です。
郷土教育についてほとんどなされていない現状を踏まえ、教師に対しての徹底した文化財教育をすることです。
冨岡地区に勤務する先生方は、それなりの自負をもってもらうということです。
そして、児童・生徒を取り囲む父兄への啓蒙です。
これは教育委員会の社会教育との関連があると思います。

教育という語を多く用いましたが、教育の語は学校だけでないということです。
こうしてみると単純に世界文化遺産登録はできないのです。
以前、高崎とウィーンとが姉妹都市になると報道され騒いだことがありました。
とんでもないと思っていました。
音楽に関しての市民の教養のレベルをはじめ、教育における音楽の位置、日常の音楽鑑賞のありようなど、ウィーン市民と比べてどうにもならないと思ったからです。
今、冨岡製糸工場に関しての一連のニュースをみていて、その時と同じ思いがします。

(2005年8月掲載)

いま思うこと ~第7回 「生涯学習とは」の再検討(4)~

『50歳から日本の古典を読んでみませんか?-源氏物語を読んで30年-』を、蘇芳の会の30周年記念に出版しました。
生涯教育を30年実践してきてのひとつのまとめです。
何故源氏物語を読むという行為を続けてきたのだろうかという、根本のことに触れながら書きました。
特に、源氏物語に関しては一種の流行現象がありますが、それとは別の日本の古典に向き合う人たちの姿勢が、口語訳の源氏物語を読むのではなく、原典を読みながら考え鑑賞していくことを述べました。

簡単に耳学問で源氏物語を知ったという表層的な学習はなく、原典から直接自分自身で理解していく、いわば時間のかかる手仕事的な学習です。
この姿勢は、「女のくどき方を学べます」「女たらしのプレイボーイ光源氏」といった、世の中に流布している源氏物語についての誤った情報への挑戦でもあります。
原典に触れることは、真実を知ることに通じます。
それは源氏物語について、あまりにも勝手なものの言いように満ちあふれていることが分かります。

俗世間に源氏物語を引き下ろした元凶は、売らんかなの出版ジャーナリズムです。
おもしろければいい、インパクトがあればいいといった、きわもの的な出版物が多いことによっても理解されましょう。
また、それとは別に、こうしたことに無関心である国文学関係の人たちにも責任があります。
すぐれた研究成果をあげられた学者も多くおられますが、このごろの専門雑誌に掲載されている源氏物語に関しての論文を読みますと、研究のための素材としてしか源氏物語を取り扱っておらず、文学作品として考える人が少ないと感じます。
紫式部が何を書きたかったかの議論がないのも、研究のための源氏物語であることがうかがえます。
つまり研究の成果が、日本人・日本文化・日本思想についてどのようにかかわったのかがないからです。
研究がわずかの研究仲間だけのことになってはいないかということです。
このごろ市民文化講座などに第一線の源氏学者が講師として講演する機会が多くなりましたが、一般人の源氏物語への関心と課題とにずれが大きいと感じます。
学者の関心は、必ずしも一般人と共通してはいません。学者の関心事に現代性がないからです。

これまでと違って少々ヒステリックなもののいいようになりましたが、一般の人と源氏物語を30年読んで学んだことの自信が、ストレートに言わせているのだと思います。
それこそ生活者に源氏物語を語る自信がおありですかと、専門家に尋ねたいのです。

■狂言を観る会 第15回公演を鑑賞して

平成17年6月30日の夜、高崎シティギャラリー・コアホールで大蔵流山本家狂言二百曲全曲公演の第15回公演がありました。
これまでになく多くの人たちが参加くださいました。
当日、家元の山本東次郎氏は、パリから帰国して間もなく北海道の公演をされるというご多忙の中で、お疲れにもかかわらず熱演されました。

特に「三人片輪」は、上演にあたっての稽古はなさらず、二十年振りの本番上演とかで、三兄弟の息のあった演技は、さながら芸の闘いを見るようでした。
それぞれが大蔵流伝統芸の稽古を徹底されてきたことが、時を超えて打合せもなく、己が伝承している芸をこれぞとぶつけあう演技に、思わず息をのみ引き込まれました。

激しく熱のこもったご兄弟の芸の闘い、もしかしたら二度と見られないのではないかと感じました。
それほど感動的な狂言を鑑賞できることは、幸せであると思いました。
悪条件の仮の舞台にもかかわらず、ひたすら狂言を演ずる山本家の熱い演技に、一段と高い拍手がおこりました。

古典芸能ですので、ことばを現代語にいいかえる事はしません。
「三人片輪」は現代風に言えば、「唖者(おし)」「いざり」「座頭」など、差別語が多く用いられています。
確かに現代語では使えない語になりましたが、だからといって身体の不自由な人たちへの思いやりが、以前よりましてよくなったとはいえません。
言葉遣いだけをいくら相手を気遣って注意したところで、心をないがしろにしていては、表面的なことでやりすごしてしまいます。
時にこうした古典の中で用いられているあからさまな表現に、あらためて相手を気遣わなければいけないと、日常の言葉遣いに反省させられるものです。

狂言の笑いは、笑わせるのを目的にした現代の芸人の笑いとは違います。
狂言をお笑いと同等に考えている人がいますが、それは間違いです。
ギャグやしぐさによって笑いをとるのではなく、語られる内容や、稽古によって培われたしぐさと、観る者の問題意識とが重なって生じる笑いです。
言い換えれば、ある種の教養にうらうちされた知性から、自然とわきでてくる笑いです。
これが「上階の笑い」ということなのではないでしょうか。

笑いについてとやかく述べることははばかられます。
つまり「おもしろいからでいいではないか」といわれるからです。
しかし、なんでもかんでも「笑える」からいいという考えは、いろいろな立場にある人を無視することになります。
狂言の笑いは、現代人の笑いの感性をより豊かなものへ覚醒させてくれます。
ですから観て戴きたいのです。

■敬語のこと

日本語世論調査に関して、文化庁がこの十二日に発表しました。
その中で若者に限らず「敬語」の使い方が分からなくなっている現状の報告が、特に目をひきました。
敬語の使い方が間違っている傾向を強く感じているものの、それを訂正する敬語に関して自信がないと言う人が多いというのです。

日本語の敬語は、ヨーロッパ語とは違います。
日本語では、相手との上下関係、親疎の間柄、住むところの遠近の三点を、即座に認識して敬語を用いることです。
話し相手を意識しているということです。
つまり、いつでも相手の立場を自分がどのように理解しているかが問われるのです。
これは長い間、日本語以外の言葉を用いて日本で生活している人の文化があまり発達してこなかったことにもよります。
例えば、言語や生活習慣を異にする人たちが、日本にはあまり住んでいなかったということです。
日本語だけでの生活の歴史が長いのです。
小学校での全体集会で、教師が号令をかけて全体が号令通りに行動することができるのもその一例です。
パリなどでは「右へならえ」と号令されても、一斉に生徒が同じ方向に向くことはないとききます。
言語が通じていないからです。

こうした状況からみていくと、会話は自分が主体であり、相手の立場よりも自分の立場を主張するのがまず第一になります。
今の日本人が敬語について自信がなくなってきたのは、ヨーロッパ的な言語観による教育がなされてきたことにもよると感じます。
同時に言語生活は、以前のままですので、ここにギャップが生じるのだと思います。
強調したいのは「ためことば」の現実です。
若者同士の言葉ですので、仲間うちではいいとは思いますが、相手の立場を考えないでそのままの仲間内での会話をしますと、相手によっては不快になります。
若者だけでなく、親世代も同様に「ためことば」ですごしている人を多くみかけます。この状況は、相手の立場を考えない言語生活をしているということになります。
幼稚園児が「センコウ」と先生のことをいうことが日常的なところもあると聞きます。

人間は社会的動物です。
人とかかわりながら生きているのです。
敬語は基本的人権を意識しているかどうかにあると考えます。
「オイシイ」とだけですべての食べ物の味を表現されてはたまらないと感じていますので、「ビミョウ」「ヤバイ」という言葉で物事を判断されては困ります。
こう書いている人間は「ウザイ」ですか。
文化差が生じてきている日本で、言葉によって人間を区別するようになったら大変です。
まわりをみますと、徐々にですが、言葉による人間集団の差がでてきているように感じます。

(2005年7月掲載)

いま思うこと ~第6回 「生涯学習とは」の再検討(3)~

源氏物語を読む会『蘇芳の会』を主宰して、この六月で三十年になります。
今、時間の重みを感じています。
三十年という時の流れに、無為に身をまかせていたとは思いませんが、何をやってきたかと反省させられます。
六月四日の例会で三十年を迎えました。

この間、多くの方々のご援助があってこそと思います。
特に、例会に参加くださる方々の並々でないご努力が、こうして源氏物語を読み続けることができたと感じています。
月に二回の例会のために、時間をつくることは、よほど主体的でないと出来ないことです。
いろいろな事が絶えず身辺に起こります。
予測できないことだらけといっても過言ではないと思います。
こうした状況の上に時間をつくることは、先に申し上げたように主体的に源氏物語を読むということに取り組まなければできないと思います。
私自身も同じに、例会に合わせて生活のリズムを整え、例会に向けて集中してきました。
お陰さまで、六七四回まで、一度も休むことなく例会を開くことができました。
誠に幸運なことと思っています。
三十年目はひとつの通過点、区切りです。
そして、新たな出発の時でもあると思っています。
これからも一層の研鑽を重ねよりよい例会ができますよう、ますますの努力を惜しまないつもりでおります。
どうぞ、今後ともご指導いただきたいと、お願い申し上げる次第です。

次回の『蘇芳の会』の例会は、六月十八日(土)午後二時から、住友ビル(高崎スズラン前)七階会議室であります。
「関屋」の巻からです。
須磨明石へ退去していた光源氏を常陸の国から思い申し上げていた空蝉が、任を終えて帰京する途中の石山寺近くで、久方に光源氏に会うところです。
「色好み」とはどのようなことかを知る上でも大事な巻です。
途中からではわからないのではないか、と、思っておられる方がおられますが、そんなことはありません。
ためらわずにまずは古典の世界へ足を踏み入れることだと思います。
そこで難しいかどうかを、お考えになられたらいかがでしょうか。
まずは行為を起こすことです。ただ読むという行為は、受け身ではありません。
自分自身が能動的に考えるという行為がついてまわります。
そこが、他の生涯学習の科目と違うところです。
創造活動と直結しませんが、時間を経ていくうちに、心の中に何かが存在するようになっていきます。

七十歳を過ぎての時間をどのように過ごすかは、人それぞれです。人生の終わり、幕引きをどのようにするか、今までにない新しい課題です。
そこに古典が存在しているのではないでしょうか。
生涯学習の再検討とは、この課題に対して考えることを提起したいのです。

(2005年6月掲載)

いま思うこと ~第5回 「生涯学習とは」の再検討(2)~

しばらくお休みしていました。
私事ですが、この二、三月と十年ぶりの大風邪を三度も患い、臥せっておりました。
ようやく桜の花が咲き始めるころから、気力が整いはじめ、これまで滞っていた仕事をやり始めました。
そして、源氏物語を読む会の「蘇芳の会」がこの六月四日で、三十年を迎えますので、お知らせにもあると思いますが、『五十歳から日本の古典を読んでみませんかー源氏物語を読んで30年ー』の執筆をしておりました。
五月末にようやく書き上がり、至誠堂さんへ原稿をお渡ししたところです。

長い間のご無沙汰をお許し下さい。

正岡子規の歌に「瓶にさす藤の花房短ければ畳の上にとどかざりけり」という作品があります。
また「鶏頭の十四五本もありぬべし」という俳句も詠んでいます。
これらの作品は散文的で、どこがすばらしい作品なのか理解されないことが多いと思います。
この二つの作品の共通するところは、視点です。
それは病床に臥している作者の視点ということです。
このことを考えますと、二つの作品の背景にある正岡子規の心情をうかがい知ることができます。
「畳の上にとどかない」という表現には、己の命の限界を意識していることが伝わってきます。
後者の俳句からは、外の風景を眺められないもどかしさを感じ、同時に限られた位置から、想像の世界に生きることによって、現実の身体を動かすことができない生きざまの苦痛を癒している作者の心情をよみとれます。

正岡子規の作品をもちだしたのは、この春に病床にあった時間が長かったこともありますが、もののとらえかたについて、考えさせられたからです。
一面的に自分が健康であることを当然のこととして、ものごとを見てはこなかったかと、反省させられてからです。

このことは、生涯教育、生涯学習という場にあっても、同じことがいえるのではないかと感じました。
つまり行政サイドでは予算消化のため、年度内計画のためなどといった枠組みのなかでしか考えないのではということです。
生涯学習を必要とする人たちの立場からの計画や予算請求がなされているかということです。

病とはいえ、臥せってばかりいてはなんにもできないぞと、ややもすれば甘えた気持ちになりがちだった日々を断ち切って、これから生きている限り、古典への情熱を燃え立たせたいと思っています。
まずは、ひさかたぶりのご挨拶をということで。よろしく。

(2005年6月掲載)

いま思うこと ~第4回 「生涯学習とは」の再検討(1)~

昭和50年6月4日、岡本洋裁学校の二階を会場に、女性のための源氏物語を読む会を始めました。
それから今年で30年、この1月15日の例会で894回になりました。

源氏物語を読むことだけを目的とした集まりで、それ以外のことには全く関与しないという前提で、これまで読み続けてきました。
今でこそ源氏物語は多くの現代作家の口語訳があり、親しむ人も多くなりましたが、当時は与謝野晶子、谷崎潤一郎、円地文子の口語訳が源氏物語を身近なものにしていました。
それでも限られた人たちにしか親しまれていなかった古典でした。

第一回、二回は連絡不十分であったのか参加者は5名でした。
ところが第三回の6月18日は、50名を超える参加者がありました。
この飛躍的な参加者の増加については、いまだにわかりません。
ただいえることは、この6月18日は、30年前(昭和50年当時)沖縄南端で、師範学校女子部第一高女の生徒49名が戦死した日でした。

あとになってわかったことですが、参加者は、この「ひめゆり部隊」と同世代の人が多くおられました。
「学校時代は殆ど源氏物語に接することなく過ごしました」「戦時中の女学生で勉強できませんでしたので、是非この機会に読みたいと思いました」と、参加者の方々の言葉がいまも印象に残っています。

現代のカルチャー族が、さまざまな文化活動に参加する姿勢とは、意味が違うように思えます。
学ぶ姿勢は同じでも、そこに戦争で失った己の青春の時間をとりもどしたいとする切実な姿勢が、あるかないかです。
参加することによって、己の人生の充実をはかろうとする前提があるのです。

古典は学校教育だけのものではありません。
まして入学試験の科目として存在しているのではありません。
こういった原則的なことはわかってはいても、若者ことばでいえば「古典はうざったい」ものとして受け止められているのが現状でしょう。

若者の国語力が低下しているという報告があります。
当然予想されていたことで、いまさら驚くには値しませんが、この「さびしい」現状を少しでもよい方向にと思うのは、日本の将来を考える人でしたら誰も思いましょう。

さて、ここで「生涯学習とはの再検討」ということで、これからいろいろ考えてみたいと思っています。

(2005年2月掲載)

いま思うこと ~第3回 私のにがい初夢~

天候異変、つまり地球温暖化を思わせることが、昨年地球規模で起こりました。
同時に人間の愚挙とも思えることの繰り返しもありました。
それらから、もはや人間が絶える時期が来ているのではないか。
また、地球も宇宙の中での生命の宿る青い輝きを失う終末期にきているのではないかと、考える人が多くなってきています。
いまこそ、人間の英知をと叫びます。
こうしたことに背を向けるほど心がねじけてはいませんが、次から次へと考えられない人間の愚行を見るにつけ、すべてが終わりだと感じてしまいます。
今年こそよい年にと念願したいところですが、そう甘くはないと思っています。

日本文化の基本の一つに四季の移りが明確であるということがあります。
季節の移りを大切にしてきた文化を多くもっています。
ですが、近ごろ、季節感を喪失したことが多く目につくようになりました。
「旬(しゅん)」という語があります。特に食べ物にかかわる語として日本人は親しんできました。
しかし、野菜ひとつとっても「旬」を感じさせることがなくなってきました。
いつでもトマトやキュウリやナスがある時代になったからです。
それはものの本質を知らずに、現象的なことで判断する生活に慣らされていることになります。

こうした季節の移ろいに敏感でなくなることは、人間についてもいえます。
他者と同じ空間にいることを忘れ、自分とかかわりのない人には無関心になっています。
野菜を通して感じた季節の移ろい、それを敏感に感じ取る感性は、他者についても同様にあった筈です。
近所のこどもは、自分のこどものように、声をかけ、小さなほほえましいコミュニケーションを構成していました。
こどもの微妙な表情の変化に気づいたものです。

季節感の喪失は、日本文化の基本が崩れだしたことを意味すると、私は思います。
さらに言えば、人為的に季節を平均化してしまったつけの上に、今度は地球規模の季節感喪失の時代に入ってきたと感じます。
季節はずれの天候が多くみられるのはその一例ですが、地球全体が季節を失ってしまったらどうなるかは、想像に難くありません。
まさに氷河時代の到来、そして現在の生命の消滅。これは私の初夢の一端です。

感性の衰えは将来を予想することができないことに通じます。
教育でいえば「読解力の低下」です。
若者達が将来について、何かを描くこともできないということです。
現実がそうさせているのだと、簡単に答える人もおりましょう。
私はそうは思いません。
日本人が読書する民俗であった事を忘れたからだと考えるからです。

さて、あなたは感性をみがく空間をお持ちですか。
本年はこの感性について、言わば「感性の覚醒」についても、書いてみたいと考えています。よろしく。

(2005年1月掲載)

いま思うこと ~第2回 年末にあたって~

暖冬のせいでしょうか、京都の下鴨神社の糺すの森は、12月になっても、紅葉が楽しめました。
この森の東に大きく泉川が、本殿近くから御手洗川、奈良の小川、瀬見の小川と流れています。
新古今集に、下鴨神社社家ゆかりの鴨長明「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れをたづねてやすむ」の歌があります。
この歌から「瀬見の小川」が有名になったといわれています。
境内の西南に鴨長明ゆかりの河合神社があります。
ここで「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」と『方丈記』を記したのです。
この「行く川」は、鴨川とされていますが、私は森の中を流れる小川ではないかと思います。
森閑とした空間をそぞろ歩きしながら、変わりつつある京都を、政権の交替期に思いをはせていたのではないかと思うからです。
ご存じのように、『方丈記』には、京都での大火・大地震・福原(現神戸)への遷都など、めまぐるしく変転する京のありさまと、それに翻弄される人々の姿を克明に記しています。

今年は、天災の多い年でした。
年末には南の島で大津波があり、まさに天の怒りが現実となって現れたのではないかと感じます。
自然への恐怖の感覚を、現代人は忘れています。
寺田寅彦の「天災は忘れられたころにやってくる」ではありませんが、目先のことに追われ、つい人間が貴重な体験から得たことについて、振り返ることを怠りがちです。
忙しさを理由に、また現実に生きるためにを先行させるのも当然なのですが、何かそれらの理由を全面に押し出して、考えようともしません。
誰かが何とかしてくれるのではといった甘えがあるからではないでしょうか。
こうした時、極限状況の緊張した感性をよびさましてくれるのが、『古典』ではないかと思います。

『徒然草・今に遊ぶ』を出版しました。
多くの方に読んでいただきたいと思っています。
それは、『古典』を原点にして、将来の向けての示唆や指針を得ることができるからです。
原典をお読みになるのが一番ですが、一つの読み方・考え方・感じたことを提示して、それについてあれこれと考えるきっかけとなればと、まずは徒然草について書いてみました。

『古典』は学校での教科書だけのものではありません。
日本人にとっての精神のよりどころとなるものと思っています。
こうした姿勢をもって、これからも書いていこうと考えています。
それにはまず、私自身がより古典を読んでいなければと思います。
現代はよいテキストが身近に沢山あります。
年末に読書の時間をもつなど、いいご身分なことと皮肉られましょう。
でもいかように批判されても、古典を通して現代の課題について、発言していきたいと思っています。

 それでは、また。

(2004年12月掲載)

いま思うこと ~第1回~

地域に根ざした生涯教育を探りながら、高崎で源氏物語を読む「蘇芳(すおう)の会」を主宰して、来年30年を迎えます。

新宿の住友ビルで「朝日カルチャーセンター」が開催された翌年の昭和50年(1975)に始めました。
地方では、まだ生涯教育ということばが定着していませんでした。
古典を読む人たちは、有閑的な人の集まりであると誤解される面をもっていました。

集まった人たちは、「私の女学校時代は『ひめゆり部隊』と同世代。
古典はおろか、学校で学習する時間を満足に持てず、勤労動員などに追われ、修学旅行もありませんでした。
源氏物語を読むということは、女学校時代にもどれたとの思いがありますが、それ以上に、学べる時代が生きているうちにやってきた、という感慨が強くあります。
古典を読む幸せな時間を持てることが感激なのです。」という方々でした。

現在は、この人たちの次世代で、古典を読む幸せということから、現代の諸問題の解決の糸口や不安な心の癒しを求めて、古典に接しようとしています。

光源氏の青春像、娘に先立たれた桐壺の更衣の母の老いの姿、人を愛することを知った時、すでに死がせまっていた葵の上などを通して、現代にかかわる様々な問題と重ねながら、生きた源氏物語を読み続けていきたいと考えています。
地味な活動ではありますが、少しでも地域社会の知的センスの向上に寄与できればと思います。

この欄では、月2回(第1・3土曜、午後2時から3時半、住友ビル7階)の講義での話題を中心に書きたいと思います。
いろいろな感想などお寄せ下さい。

(2004年9月掲載)